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公益社団法人 日本騒音制御工学会

会員コラム

身近な自然の四季と音(Vol.44 No.5)
身近な自然の四季と音

身近な自然の四季と音

. はじめに

週に1回、自宅付近の山でのランニングが習慣となっている。山といっても、ゆっくり走って上り下りすること30分程度の丘陵地である。主な目的は、日常の運動不足解消であるが、ここでは、季節に応じて視覚と同様、いやそれ以上に聴覚で感じる自然現象がある。夏に上り始め、四季を一巡して駆け下りてくるストーリーでその移ろいを記す。

. 身近な自然の四季と音

運動するには最も厳しい季節である夏、上り始めは樹林帯である。広葉樹と針葉樹が入り乱れ、ほぼ無風。汗が噴き出し、喉は息苦しく、日本の夏の高温多湿を感じながら走っていると、いつの間にかセミの合唱に囲まれていることに気付く。セミの声は夏の移ろいを聴覚で感じられる身近な自然の音である。都会や自宅では、暑さと不快感を倍増させ、かつ騒音測定には厄介者でしかないが、不思議と樹林帯の中でのセミの合唱は心地良く、足が進む。梅雨時期のニイニイゼミの遠慮がちな声から始まり、夏真っ盛りにはアブラゼミとミンミンゼミの大合唱で最盛期を迎え、ツクツクホウシの声が夏の終わりを告げる。また、真夏の夕方のヒグラシの合唱は郷愁に駆られる良い音であり、走る足を止め、しばらく聞き入ることは筆舌に尽くしがたい。

樹林帯を駆け上がって尾根に出ると草原があり、暑い季節が終わると爽やかな風が感じられる場所である。秋の日はつるべ落としと言われる通り、いつの間にか辺りが暗くなり始める。暗くなるにつれて、コオロギ、キリギリス、バッタなどを主とする秋の虫の合奏は音量を増していく。セミの声ほどの音量と力強さはないが、秋の虫ならでは鳴き声は、繊細かつ優美さを感じさせる。ここでは、多種多様の音が入り乱れているが、聴覚のカクテルパーティー効果により、1つの音色を抽出して感じ入ることができる。立ち止まり、コオロギ、次はキリギリスと音色に集中するのは趣き深い。騒音測定に悪影響を与える暗騒音になりうることは残念と感じるが、何人たりとも止めることができない虫たちの鳴き声は、自然の力強さを感じる音と言える。

立ち止まると涼しさより寒さを感じ始めるころには、いつの間にか秋の虫の声は聞こえない。鬱陶しい蚊や身の危険をも感じさせるスズメバチの羽音に悩まされることがなくなる。広葉樹は紅葉、落葉と姿を変え、山は寒さと静寂さに包まれる。冬は視覚的には寂しい季節となるが、聴覚的にはそうではない。葉を落とした木々の中、音の伝搬しやすくなり、鳥のさえずり、キツツキのドラミングなど、普段意識しないような音が際立つ。無風かつ凍てつくような厳冬の早朝は、山頂から眼下に一望する景色が美しいが、無音の中での聴覚は研ぎ澄まされ、枯れ葉が地面に落ちる音さえも聞こえる。一方、冬型の気圧配置が強くなると、激しい風切り音とともに、木々が激しく揺れ、地面の落葉が巻き上げられる。山頂での休憩は早々に切り上げ、北風を全身に受けながら下りの途に就く。

春一番で強風のピークを迎えるが、その後、啓蟄(けいちつ)を過ぎると穏やかな日が多くなる。小さな蜂やアブの羽音がわずかに聞こえ始める中、草原の斜面を走り下りる。まだ、鳴くことに慣れないウグイスは、ぎこちない声だが、斜面に点在する桜の木が満開になり、春が進むにつれて、ウグイスは惚れ惚れとするような美声を奏でるようになる。一目姿を見たいと立ち止まるが、笹藪の中から美声が聞こえるのみで、見つけることは容易ではない。五感のうち聴覚のみがウグイスの存在を強く感じられるのである。颯爽と走り下ることが山のランニングの醍醐味であり、春は全身に受ける風が最も気持ち良い。

麓に降りてきた。身近な自然から一時離れるため、名残惜しい気持ちになるが、帰路に就かねばならない。河川敷を走っていると、キジの甲高い声が聞こえ、疲労状態から聴覚のみが回復する。空高く舞うヒバリの鳴き声も聞こえる。道路交通騒音に暴露されながら、自宅に着くと、家族の声と生活音または人工音に囲まれ、これが日常の音環境であることを改めて実感する。

また暑い季節が来る。樹林帯を上り始めると、か細い声であるがセミがようやく鳴き始めた。

. おわりに

世の中は著しく変化する中、自然は変わらず、いつでも誰でも受け入れてくれる。そこで聞こえる音は様々であり、耳を傾けることは興味深い。特に、身近な自然の音環境は心地良い。また、自然に楽しませてもらっている謙虚な気持ちを持ち続けたい。

(リオン株式会社 計測器営業技術課 井關幸仁)

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