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会員コラム

ブブセラと芭蕉 (Vol.41 No.4)
ブブセラと芭蕉

ブブセラと芭蕉

いささか古い話題だが,2010年のサッカーワールドカップは,南アフリカで開催され,試合以外のことで話題になったのが,観客が応援に用いるブブゼラの音だった.フランスの放送局は,あまりのノイズに,ブブゼラの音をカットして放送したほどで,地元固有の文化とはいえ世界各地から訪れるファンにもサッカーをテレビで観る人々にとっても,この音環境は,好ましくは受け取られなかった.

そのブブゼラの音の風景を描いたコラム「かき消されたノイズ」(日本経済新聞2010616日付朝刊・34面)に,「ブブゼラの音にかき消されたブラジル応援のサンバの踊りが,無声映画を見るようで,爆音が無音のような場になった」というくだりがあった.その場にある音をそれよりも大きな音がマスクしてしまい,多様な音風景が,モノトーン化する情景は容易に想像できる.「無声映画」という形容が,大音量のサンバのリズムと躍動するダンスのクロスモーダルの片方(聴覚)が喪失して,視覚要素だけになった景色を上手く言い表している.我々は,他を圧倒するノイズが一瞬静寂感を呼び起こすことを稀に経験する.これは,そういうアンビバレントな知覚経験の一つと言ってもいいだろう.

この音風景から一つの俳句を連想した.芭蕉のあの有名な句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」である.なぜ大音量の蝉の声が閑さなのか,この逆説の意味については,芭蕉の精神世界を様々に解釈した諸説が唱えられている.音風景として想像すれば,蝉の声が激しく耳を打っているうちに,やがて音が意識から遠ざかり,いつの間にか深い静寂に包まれてゆく感覚はイメージできる.ブブゼラの爆音と重ねると,ブブゼラがかき消したのは,スタジアムで繰り広げられる応援のサウンドとともに,世界中からやってきた人々が放つ叫びや嘆きや怒りや喜びの声であったが,蝉がかき消したのは,葉擦音や鳥の声などの多様な自然な音だったことが想像される.風で揺れる樹々や自然の中にある動きそのものが起こす音が消され,自然の多様で複雑な変化が,定常で単調になることが「閑さ」の感覚を引き起こしたと説明されると,納得できる.

さて,引用したコラムには続きがある.「南アフリカの人々にとって,ブブゼラを吹きながらサッカーを見ることは大いなる喜びなのだろう.それもまた固有の応援スタイルだということも分かっている.ただ,W杯とは自分たちの音を聞かせるだけでなく,相手の音を聞ける貴重な場所でもある.開催国ならなおさらではないか」.相手の音を聞くという態度,その場に本来ある音を積極的に聴くという構えが音環境というフィールドの特徴である.

 さて,芭蕉の「閑さ」の解釈はこの辺りにして,人はどのような状況で,その場を「静か」と感じるのか.単に物理的な音のレベルが低いという以外の文脈的な音の静けさを考えてみた.

 静けさには,周囲にある音の状態が過渡的で,その変化で感じる静けさと,緩やかな変動,もしくは定常的な音の総体としての静けさがある.前者を微分的,後者を積分的な静けさと呼ぶことにする.積分的な静けさは,LAeqでその場の静けさの一部は説明可能だろう.一方,微分的な静けさは,より文脈的で物理で語ることは難しい.微分的な静けさには,何かが始まるまたは起こる直前の緊張の時間で感じられる予兆の静けさと,何かが起こった直後の余韻として感じられる静けさがある.例えば,指揮者がタクトを振り上げる前の緊張感に満ちた時間,無言の間を待たせる小三治の場を制圧するような時間,格闘技で相手と対峙し戦いの始まりの合図を待つ瞬間.これらは,すべて何かが始まるまたは起こる直前の緊張の時間で感じられる静けさであり,時が止まると形容されるような息を飲む瞬間である.動きが止まるから物理的に音が生じないことと意味との一致がさらに静けさを強調する.

 余韻的な静けさとしては,鹿威しの竹が岩を打つ音の直後の微かな水の流れ(余韻と緊張の繰り返しとも言える),遮音性の高い車のドアを閉めた直後の外界を閉ざす密閉感,寺の鐘の響きが自然の音に溶け込むときの静けさ.継続時間の短い単発音そのものに何らかの意味があり,その後の場の変化,意味の変化,状況の変化と音の同期性が,その場にいるという感覚をもたらす.そして,その環境の暗騒音にも依存するが,単発音が消えた後,そこに静けさを感じる.

 与謝蕪村の俳句に,「蜻(こほろぎ)や相如が絃のきるる時」という句があるが,ステップ的な周囲の音の変化を感覚的に捉えた情景を詠ったものと言える.絃がぷつりと切れたかのようにコオロギが鳴きやんだという,音が途絶えた時に音に気がつくことの感性の表現と解釈できる.

 どんな静けさも心理的な要因がある.今回は触れられなかったが「うるささ」も同じである.それらを数値にすることができない現在では,いかに的確な言葉で形容するかが大事である.そこには,物理のような因果を示す正しい式や測定した物理量があるわけではない.様々な音の現象で生じる心理的な印象を語る言葉を磨くことは,正しい式の導出や精緻な測定の技術と同じように奨励されていい.音ほど物理と心理が様々に絡まりあった領域はないのだから.

(株)小野測器 石田康二

 

 

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