日本騒音制御工学会は、騒音・振動およびその制御に関する学術・技術の発展と普及を図り, 生活環境の保全と向上に寄与いたします

公益社団法人 日本騒音制御工学会

会員コラム

騒音制御工学との関わり(Vol.34 No.1)
騒音制御工学との関わり

騒音制御工学との関わり

 出会い

 1953年、東京都新宿区百人町にあった、建設省建築研究所で、久我先生の助手を勤めさせて頂いたのが、出会いである。戦災復興期、日本の建築界をリードする蒼々たる先生方が在職されていた。火災実験後の建物1階に、小さな残響・無響室があり、建材の遮音性能の試験などを行った。この頃は、都電が走っている時代で、都の騒音実態調査などにも協力した。東京巣鴨の「とげ抜き地蔵」は、“オバサン方”に有名であるが、本堂の音響改善で残響測定に行った記憶がある。また当時、数寄屋橋近くにあった、日本建築学会會館の外壁タイルの剥離調査を依頼され、足場板を渡した簡易ゴンドラの手動ウインチを操作し、怖々と一枚ずつ検査をした想い出がある。

  鹿島技術研究所

 1958年、鹿島建設()に入社し、技術研究所配属となった。業界初の残響・無響室が地下階に設備されており、企業研究所の先進性に感動した。以来1995年定年退職まで、騒音制御業務一筋に過ごした。退職の折、後輩所員達が、研究業績集を作成してくれた。社内技術協力報告書が、300件に上る事が記載され、ニーズが如何に多かったかを裏付けている。印象深いのは、現在も時折超低周波音が問題となるが、1965年代に信濃川を挟んだ対岸の家屋で、戸障子・家具が振動するという現象が生じ、地元新聞の話題となった。東大地震研、東北大学と共に、我々も調査に参加した。原因は、ジーゼルエンジンの排気音にあると判明したが、探査・測定技術など大変な勉強になった。後年同様な問題が、大規模石油化学プラント周辺で生じた。プラント機器の稼動状況と振動現象の追跡調査で、大規模クーリングタワー・ファン羽根一枚の腐食脱落が、原因と判明したが、前例の経験が大いに役立った。1960年頃から、鉄道沿線に新設する精密工場敷地への振動影響調査が増加した。手製の振動計に代わり、鹿島1号となる熱ペン記録式振動計を調達した記憶がある。

 その頃から、各地の火力発電所の騒音実態調査等を行ったが、石油プラントの騒音問題に関わる事も多くなり、徹夜で周辺地域への影響調査を行っている。また1970年頃、当社がターンキー方式で受注した、石灰石山から積み出し港までの長距離ベルトコンベヤーシステムの防音・防振対策には、市街地ルートもあり、苦労した想い出がある。参考に、某プラントのベルトコンベヤー騒音を無断で調査し、警備員から追跡されたりしている。研究所には、長友(元本学会長)・古宇田先輩が在職され、ラジオ・レコードスタジオの音響設計、大規模工場等の自然換気計画など、業界として先進的な環境工学の問題に取り組んでおられた。また、電力需要の増大に伴い、市内大型変電所が増大し、150MVAクラスの変圧器騒音対策が、問題となっていた。これを防音と換気を考慮した建屋の開発で解決し、多数の施設設計を行った。また、わが国初の超高層ビル(霞ヶ関ビル)では、中間階に設備機械室が設けられ、上下階に対する防音・防振対策が要求された。ここでの貴重な経験が、その後の超高層ビルやホテルの設計等に大いに役立った。他方、社外委員会で開発した、全カバー式鋼管杭打機は、当時の建設工事ニーズに応える騒音制御技術の成果と言える。

  緊張した想い出

 1969年、日本の代表的な建設技術研究機関として、皇太子明仁親王殿下(現天皇)が、行啓された。その折、都内の実騒音とレベルの関係をご説明した。新国技館の音響設計に当たっては、館内放送の明瞭性を蔵前国技館の現況と較べ、シミュレーション音声で、春日野理事長(元栃錦)等、協会役員に説明をした。1982年、デミング賞を会社として受賞したが、審査の先生方に研究テーマの選定から、成果活用展開のQCサークルの実証説明など、苦労した想い出がある。苦い想い出としては、騒音対策を施した化学工場のプラントが、爆発で一瞬に建屋鉄骨のみになった事。また、騒音対策を行った市内変電所が、火災事故になった事。そして、棟頂に消音換気モニターを設計した、長大工場の一部棟が、撓んだこと等が思い出される。

  著書など

 当学会には、設立時から関わってきたが、「騒音・振動対策事例集」は、委員の方々が当社研修センターに合宿で纏め上げた、特別な想いがある。また、研究業績賞(著書)を頂いた「建物の防音と防振」は、鹿島建設技術研究所の関係所員が、分担執筆した成果である。そしてこの度の研究業績賞は、これまでの実務経験に基づく“居住性を考慮した「建築設備の防振設計技術」(技報堂出版)”が評価されたものと思っている。また、本会発足の動機となった熱気に溢れた仙台での、“インターノイズ75”に参加し、論文報告が出来たことは、懐かしい想い出である。

 終わりに、私の騒音制御工学との関わりは、時代のニーズを背景に、技術検討依頼先およびその解決の過程で、多くの人々との恵まれた交流にある様に思う。

 (元鹿島建設(株)技術研究所 麦倉喬次)

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